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理学療法士 40歳 Y子
香織先生のカウンセリングを受け始めて一年。実感としては、え?もう一年経ったの?早すぎない?です。通い始めの頃の私は、職場での人間関係に折り合いがつけられず辞めようとしていたり、好きな人にやっとの思いで2年越しにドイツで会うことができたのに、上手くコミュニケーションが取れずにギクシャクした雰囲気のまま日本に帰ってきたり、私って何なの?何もかもが嫌!という投げやりな精神状態でした。でも、このままで終わりたくない、わずかでも自分を変えるチャンスがあるなら変えてみたいというわずかな希望もありました。そのわずかな希望がte.to.teのホームページに辿り着かせてくれました。しかし、メールでカウンセリングの申し込みをするも返信が来ず。。。どうしても香織先生に会いたかった私は、ドキドキしながらもホームページに載っている電話番号に電話を掛けました。そしてカウンセリングの予約を入れることができホッとした瞬間、「お会いできるのを楽しみにしています!」なんて言葉が口から出てきていました。 最初のカウンセリングではやはり、自分がどんな生い立ちだったのかを話さなければなりません。私にとって生い立ちを話すことはいつもストレスでした。ストレスを感じるということは何かあるのですが、その部分を掘り下げていかないと私自身の問題は解決しないということに何となく気づいていた私は、カウンセリングが終わった後に「やっぱりそうだったか。でも嫌だー。」と生い立ちや自分に向き合わなければいけないことへのストレスと絶望感でいっぱいになりながら暗い気持ちになっていました。しかし一方で、「人生を変える最後のチャンスなのかも。香織先生ならこんな大変な私に付き合ってくれるかもしれない」という思いもありました。人と深い信頼関係を築くことが苦手な私でしたが、香織先生を信頼しようと思いました。その理由は、香織先生から「愛情」を感じたからです。言葉では表現しにくいのですが、私のセンサーがそう感じたのです。私は人一倍感受性が強く個性的なセンサーを装備しています。そのことが生きづらさの原因の一つでもあるのですが、今回はそのセンサーを信じることにしました。 生い立ちとセンサーは連動しているそうです。センサーを築く土台が生い立ちです。生まれ持った資質に加えて、環境によって磨き上げられたセンサーによって、人は選択と行動をしながら生きていることをカウンセリングを通して学びました。心理学的な用語ではセンサーとは認知または思考パターンでしょうか。その認知が私は相当歪んでいました。それ故に、香織先生から「Yちゃんは闇が深く時間がかかるよ」と言われました。自分でも気がついていましたが、改めて言われるとショックでした。カウンセリングでは、物事をどのように受け止めたのか、なぜそのような受け止め方をしたのか、結果どのような行動を取ったのかを一つ一つ見直す作業が続きました。その作業は自分の暗い内側を覗くような感覚を伴い、見たくないことや忘れてしまいたいことに直面しては落ち込むことを繰り返していました。そして私は、何か嫌なことがあると逃げる、人のせいにする、本音を言わないという最低な自分に出会いました。 私に出会った人が私に持つ第1印象は、「強そう」「何でも言えそう」「自信ありそう」「人生楽しんでそう」、だそうです。しかし、私自身の私に対する評価は非常に低く、いつもそのギャップに苦しんでいました。いつも不安で自信がなく、欠乏感でいっぱいでした。とにかく自分のことが嫌いでした。だからこそ強く見せ、楽しんでいそうな自分でいる必要がありましたが、その矛盾は自分を苦しめるばかりで、定期的に鬱っぽくなり、人生上手くいかないと思う日々でした。人の評価に合わせて生きてきた結果、本当の自分が見せられなくなっていたし、わからなくもなっていました。 なぜこんな自分になったのか?ここで生い立ちと向き合わなければなりません。私は4人兄弟の2番目です。姉と弟、妹がいます。母は19歳で結婚、20歳で姉を出産し、20代は4人の子どもを育てることに追われていました。経済的にも楽ではなく、幼少期の頃の家の中はいつもピリピリしていました。母の機嫌が良いかどうかは家の中の雰囲気を決定づける重要な要素でしたし、母親に抱きしめてもらえる、褒めてもらえるなんてことは高望みでした。母の機嫌が悪いと怒鳴られ、手が出てくることも多かったです。平手打ちを受けて鼻血を出したり、おたまで叩かれそうな妹をかばったり、そんな日々でした。母の言うことを聞かないと嫌な思いをする。この思いがいつもありました。私以外の兄弟は大人しく、自分から母に向かっていくタイプではありませんでした。私はどちらかというと向かっていくタイプで、自己主張をしたり、兄弟を代表して母に物申したりしていました。そのため返り討ちに合うことも多く、ほかの兄弟は我慢しているのにあんたは我がままで自己中心的だと言われたり、希望は叶えられないという体験が多くなってしまいました。そんな環境の中で、私のセンサーは、「母に怒られないためにいい子になる」「希望は叶わない」に傾いていきました。本音を言わないことでその場をやり過ごすことが安全策だと思い込んでいました。そうしているうちに本音の言い方を忘れてしまいました。自分の思いを言葉にして伝えることができなくなりました。希望なんて叶わないから諦めるという諦め癖も身に着けました。私の中には母への憎しみも生まれました。なんでこんな家に生まれたのだろう、ずっとそう思って生きてきました。それでも母の顔色を伺いながら、母が喜ぶかどうか、母が許すかどうかを基準に物事を選択して生きてきました。その結果、自分で自分の希望を叶える成功体験を積むことができず、自分を信じることができない自分になっていました。このからくりがわかった時の絶望感は言葉にできませんが、このからくりがわからないと新しい思考パターンと行動様式は身につかないことを学びました。思考パターンを理解して、行動を変えていく、これが認知行動療法なのだということも学びました。行動を変えていくという作業はとても辛いものでした。なんせ選んだことがないことを行動するのですから、それはそれは大変なことなのです。私の場合、「伝える」という行動を意識的にすることになりました。伝えても叶わない、嫌なことを言われるというのが前提の私にとって、本音を伝えるという行動は相当ストレスを感じる行動なのですが、そのことをしなかったことによって今の現実があることを考えるとやらざるを得ず、強い葛藤を感じながら取り組んでいました。香織先生からすると、ここまで私が伝えられない人だったことに驚きもあったようです。そうです、私の闇は深いのです。まずは職場や友人から練習を始めました。その結果関係が悪化してしまったこともありましたが、それも仕方ないと自分に言い聞かせながら行動を続けました。しかし、私が最も本音を言うべき相手はやはり母親です。ここを乗り越えないと私は次のステージに進めません。私は必死でした。ラスボスと戦っているようで、実は自分と戦っているのだと気づきました。それでも伝えることを意識的に続けていると、自分の本音が言いやすくなってきていることに気づきました。本音を言うことで希望が叶いやすくなることも少しずつ理解できるようになってきました。同時に本音を言っても関係が悪化することばかりではないこともわかりました。昨年の年末、私が10年間母に伝えられなかったことを伝えた時、母親は怒りませんでした。「Y子が決めたことだから反対はできない」と受け入れてくれました。カウンセリングを受けて一年近く経ち、ようやく私は少しだけ自分を肯定できるようになりました。まだまだ未熟で成長しなければいけない私ですが、香織先生に出会い少しだけ変わることができました。これからも自分との戦いは続きます。むしろこれからが大切な時期かもしれません。自分を深く理解し、人と深く繋がっていくための土台づくりを地道に続けながら、自分の使命を見つけ豊かな人生を送ることができるように、香織先生のカウンセリングを続けていきたいと思います。また、te.to.teを通じて出会った方々との繋がりを大切にして、励ましあいながらともに成長していきたいと思っています。 香織先生、こんな私に付き合っていただき、本当にありがとうございます。香織先生から離れようと思ったこともありました。図星を言われて悲しくなってムッとしたこともありました。香織先生の前でたくさん泣いて情けない自分をさらけ出してきました。それでも私を諦めずにいてくれていることに心から感謝しています。そして、これからも宜しくお願い致します。私が香織先生に出会った時に感じた愛情は本物でした。
【家族関係】 40代男性クライアントのお母様からのお手紙
今年もあと僅かな日々となりました。
大変ご無沙汰しておりますが、三浦さんには、変わらずお忙しい日々をお過ごしの事と存じます。
本年は、三浦さんから娘のご縁を頂き、心より感謝申し上げます。最近は時折、仲睦まじい姿も見られるようになり嬉しく見守っている今日此の頃でございます。
そしてもう一つ三浦さんにお礼申し上げたいことがあります。
三年前、息子のことを親の私自身が手掛けることになりました。その時私は、三浦さんと娘にすっかり頼り過ぎていた自分を強く反省いたしました。そして去年のことです。家族四人でしっかり話し合う時が来ました。それ以来、氷が僅かずつ溶け出すように、家の中が変わってきたように思えます。問題は色々とありますが、そこから逃げない自分になってきたからだと思います。
三浦さんと以前お話した直後のように、心強く安らかでいられる自分を実感できるようになりました。きっと私の心の中に、三浦さんの言葉が生きていて、逃げない自分に自信がついてきたからだと思います。今は、希望に向かってひとつひとつ乗り越えていくことが楽しみになっています。
寒さもますます厳しくなってまいります。御身体くれぐれも大切になさって、よい新年をお迎え下さいませ。
平成二十五年十二月
【恋愛】 30代女性
昨年の7月末、香織さんの元を初めて訪ねた時は、仕事はもちろん私生活でも緊張や不安がつきまとい周りの顔色をうかがい、いつも気を張りつめていました。
不安や緊張は幼い頃からあったものの、その原因が何かわかりませんでしたが、香織さんのカウンセリングを受けるにつれ、きっかけがどこにあるのかを気づかせてもらうことができました。
「自分を知る」と香織さんは言いますが、それまでの私は嫌われるのが怖くて周りに合わせてばかりいて、自分がどういう人間かわからないうえ、自分自身をわかっていない事にすら気づけずにいました。
香織さんのカウンセリングは、自分を知るためのレッスンでした。
今まで避けてきた家族ときちんと話し合い新しい関係を築くこと、過去の恋愛の清算、今までの人間関係の見直し、それらを香織さんの後押しを借りながら終えて、初めて私は未来へ目を向けることができるようになりました。
母子家庭に育ったり、周りも離婚や長続きしない関係ばかり見てきたせいか、自分が家庭を持つという選択が出来ずにいましたが、tetoteセミナー生で夫婦になった方々と知り合ったり、香織さんのお話を聞くうちに、自分も家族を作りたいと思いました。
さて結婚や家庭って…と将来を考えた時、最初は全く思い描く事ができずビジョンを持てない自分に愕然としましたが、「ないものは作ればいい」「具体的に描く」という香織さんの言葉を信じて行動していた二ヶ月後、tetoteの株式会社設立一周年パーティで男性と知り合い、縁があり結婚することができました。
香織さんの元に通い出してから一年で、これほどまでに劇的な変化がおきたことに自分でも驚いています。
ここまでこれたのは、香織さんのカウンセリングのおかげです。
香織さんがいなければ、今の私はありません。
本当に心から感謝しています。
香織さんは時には厳しい事も言われますが、それはクライアントへの愛情からくる言葉です。
自分に向き合い、本来の自分を取り戻すのは決して楽な道ではありませんが、通う前より今の自分の方が好きですし、生きやすいと感じます。
まだ課題があるので、今も継続して通っていますが、これからも諦めずに前を向いて頑張っていきます。
これからも、よろしくお願いします。
【うつ病、買い物依存症、恋愛】 30代女性
私は23歳からうつ病になり、5年間精神科に通院していました。
うつはなかなか良くならず、28歳で担当の先生から交際を申し込まれ、心が不安定のまま付き合うようになっていました。
交際後は、病院へ行かず院外で先生からうつ病の薬をもらい、彼のすすめるままに薬を飲み続けていました。
当時の私は女性として全く自信がなく、彼にもっと「きれいだね」とほめてもらいたくて外見だけをひたすら磨くようになっていました。
エステやファッションなど、美に関わるものに大金をつぎ込み、いつの間にか私は買い物依存症になっていたのです。
自分の収入以上の買い物をしていたので、当然借金をするようになりました。
気がつけば、自分の年収以上の借金に膨れ上がっており、もう誰にも言えず苦しい返済の毎日でした。
その頃、彼の女性問題が大きなきっかけとなり、私から彼に別れを切り出しました。
彼は「絶対に別れない」と言い、いつしかストーカー行為をするようになりました。
香織先生は、初めて会った瞬間から私の現状を把握し、優先順位を明確にし、すばやく行動してくださいました。
まずは借金問題、ストーカー化した彼との完全な別離をわずか2週間で解決してくれたんです。
そして、これから私がいかに幸せに暮らしていけるかを1番に考えて、カウンセリングに通えるよう手配してくださいました。
香織先生は、とても愛情深くあたたかい女性です。
厳しさの中にも熱意があり、全てのクライアントを愛おしく思っています。
香織先生と出逢い、ここまで導いてもらい感謝の気持ちでいっぱいです。今の私は、心身ともに元気になり始めています。心のケアを通して確実に一歩一歩前進中です。
本当にありがとうございます。
今後ともよろしくお願い致します。
【恋愛・自立】 30代女性
失恋のショックから立ち直れず、友達が紹介してくれた先生のカウンセリングを受けることにしました。
4年付き合って結婚の話が出ていた彼と、婚約直前に大げんかをしてしまいました。あの時こう言っていれば、あの時そうしなければ・・・と後悔することばかりで、なんとかよりを戻す方法を教えてほしいという気持ちで一杯でした。でも、先生と話すうちに、同じようなけんかをいつも繰り返してきたこと、いつも悪いところを直すようにがんばってきたけれど、やっぱりけんかは続いてきたことを思い出しました。付き合っている間、半同棲でずっと一緒にいる彼と別れるなんて考えは私にはなくて、付き合いを続ける、そして結婚をする、ということが私の目的のようなものになっていて、自分の性格まで彼に合わせて変えようとしていたのかもしれないと思うようになりました。
先生に言われて、自分の本当に好きなことはなんだろう、と考えていたとき、学生の頃に好きだったカメラのことを思い出しました。社会人になって続けようと思うほど上手ではないと思っていましたが、写真のことを話していると、どんどん楽しい気持ちになってきました。その気持ちこそ才能だと励ましてもらってとても嬉しくなりました。「私には写真がある」という、自信が持てました。
2回目に先生に会った頃には、ご飯も食べられないほどの失恋だったのに、彼とよりを戻したいという気持ちはすっかりなくなってしまいました。彼と支え合ってきた時間は大切なものだったけれど、先生の言うように「自分が弱っているときに出会う人は、弱い部分で引き合ってしまう人」ということが、何となくわかりました。
反対に「自分が輝いているときに出会う人がステキな人」という先生の言葉を信じて、新しい世界での出会いを楽しみにしています。我慢したり無理をしないで、自分の好きなことをするこれからの生活がとても楽しみです。
【うつ病】 40代女性:看護師(札幌市) ※医師のご主人からの手紙
妻が大変お世話になりました。
妻のうつに悩まされていた日々をあらためてふり返り、先生へ心から感謝しております。
長期間にわたり病院へ通っても治らなかったうつの妻が、三浦先生のオフィスへ初めて伺った日に、明るい顔で帰ってきた時には驚きました。「まだうまく話せないけれど、私の中で変わったことがある」と言い、久しぶりに会話らしい会話ができました。急激な変化を訝しく思う気持ちがありながらも、手応えを感じた日でした。
その後、停滞もありつつも、妻は次第に安定していきました。病院には3年通っても変化が見られませんでしたが、三浦先生にお会いしてからはわずか3ヶ月の間のことでした。
快方に向かう過程で、結果を急ぐあまり約束の時間外にも先生にお電話したり、助言を求めていたことがある、と後から聞きました。自分のことで一杯になってしまっていた妻の声にも、お忙しい中、その都度適切に応対してくださったこと、とくに感謝しております。妻の気持ちに本当に深く寄り添うような三浦先生の真摯な心が、頑なだった妻の病を動かしたのだと思います。その向き合い方は、誰にでも出来るということではありません。思えば、初回から先生への深い信頼感を得て、妻は安定を取り戻したのだと感じております。
元来、常にまわりに気を配る性格で、子供が生まれる前は、病気の人のために尽くす看護師という仕事に身を捧げているような妻でした。家では舅や姑と良く折り合い、家事、育児も精力的にこなし、夫の私が言うのも変ですが、全く問題のない良い母、良い妻でありました。いや、と思っていました。しかし、夫婦の会話が少しずつ確実に失われていた期間でもあったと今はわかります。
今後、妻は出産を機に休んでいた、看護師の仕事に復帰しようかと思う、と話しています。私自身、取り戻した妻との会話を再び失うことがないよう自戒しながら、家庭を立て直したいと思っております。
本当にありがとうございました。
【パニック障害】 20代女性:学生(札幌市)
2年間同棲していた彼に別れ話を切り出され、うつとパニック障害の発作に苦しんでいるとき、知り合いから三浦先生の話を聞きました。
パニック障害を何人も治してきたという話だったので、すぐにカウンセリングを受けさせてもらうことにしました。
あの苦しい発作が起きたとき、頼る彼もいなくて一人になるくらいなら、もう生きていけないと先生に言いました。
でも先生は、「あなたみたいにかわいい子が、一人ぼっちになるはずがない。」と言って、私は思ってもいない言葉に、とてもびっくりしました。
最初は信じられませんでしたが、帰る頃には「絶対に、これからもいい人に出会えるよ。」という先生の言うとおりになるような気がしてきました。
しばらくして、荷物を取りに来た彼に、笑顔で「ありがとう」と言うことができました。その夜は辛かったけれど、「新しい幸せが入ってくるときには、その分の古い何かを手放さないと」と言われたことを思い出して、きっと幸せになれると信じることにしました。
その後、本当に新しい彼ができました。新しい出会いを期待していると、自然と気持ちが前向きになったのが良かったのかなと思います。発作も起きなくなりました。「大丈夫」と背中を押してもらって、海外旅行にまで行けました!飛行機に乗ったのは、高校の修学旅行以来でした。
先生に言われたように、気持ちが後ろ向きになって自分に自信が持てない時に、まわりの人に自分を見てほしい気持ちがあったのだと思います。彼を無理矢理自分に引き留めようとする気持ちが、発作を起こす原因の1つだったと思います。
先生に、自分の弱さの原因を教えてもらって、少し強くなることができました!ありがとうございました。
【親子関係・自立】 20代女性・50代母親(旭川市)
娘は中学校では不登校気味、なんとか高校へ進学したものの、引きこもり状態が続き、すぐに退学してしまいました。夫とともに、娘の言葉にはいつも耳を傾けてきたつもりでしたが、荒れる娘を受け止めきることはできず、アルバイト先で付き合いを始めた男性の家に入り浸るようになり、ついにはその男性について、家を出て行ってしまいました。
もう、親の言う通りにはなりませんでしたので、ささやかながら娘を信じて幸せを祈る毎日でした。
しかし、娘はひどく傷ついて帰ってきました。一日中泣き、もう生きていたくないとリストカットも繰り返しました。
まだ二十歳を迎えたばかりの娘です。そんな娘の将来をなんとか救いたいと思っていたとき、三浦先生の話を聞きました。
傷ついた娘とともに、おろおろするばかりの私でしたが、三浦先生は、将来への計画を始めました。まだ新年度の願書を受け付けている専門学校を素早く調べ、たくさんの資料を集めて娘に選ばせました。娘の笑顔を見たのは本当に久しぶりでした。
なんとか希望の専門学校への入学がきまり、新しい生活への道筋が見えると、娘も目に見えて落ち着きを取り戻しました。リストカットの心配もなくなりました。
あの時、三浦先生がいなかったら、親子で悲嘆に暮れるばかりで、とても新学期の新しいスタートなど思いつけなかったことでしょう。傷ついた娘を、叱咤激励して奮い立たすということが、どう考えても私にはできませんでした。親として、受け止めるばかりではなく、立ち向かうという姿勢が欠けていたことを反省させられました。親子共々、助けていただいたこと感謝しております。
【不安症】 30代女性:介護士(旭川市)
良く当たると評判の占い師のところへ通っていましたが、「悪いものに憑依されている」と言われてから、仕事を休まなければ行けないほど体調の悪い日が続き、三浦先生へ相談に行きました。
最初に会ったとき、すぐに「憑依なんてされていない」と断言する三浦先生を信用できない、とも思いましたが、話をしていくと、占い以上に私のことを理解してくれていることがわかりました。
占いに長く通い続けていた私は、知らず知らず占い師の言葉が答えであると信じ込まされていたのでした。占い師の言葉を聞かなければ不安で不安で仕方なかったのですが、三浦先生は、「答えは自分の心の中にあるのだから、自分で見つけられる。本当はもう気がついているはずだよ。」と、不安な私を励ましてくれました。
占いに数十回通っていた私でしたが、三浦先生のところへは、たった2回通っただけで元気になってしまいました。
【恋愛】 30代女性:教師(函館市)
付き合う男の人といつも長続きしないことを相談に行きました。今回こそは結婚したいと思っている彼に、まったくその気がなく、どうしたらいいかわからなくなりました。
でも、三浦先生に「彼があなたにそう言ったの?」と聞かれて考えました。確かに、彼は「結婚しない」と言ってはいませんでした。でも、最近は話しかけてもいつも冷たい返事ばかりが返ってきて、私の事を好きではないようでした。いつ別れようと言われてもおかしくない雰囲気でした。当然、結婚に関する話題すら出せないという状況でした。
先生は、彼との話を聞いて言いました。「彼はあなたが嫌いというわけではないと思う。でも、何も言っていないのに、あなたが悲しい顔をしたり、おもしろくない態度を取っていたら、彼だっておもしろくなくなってしまう。お互いに、仕事のことが頭にあったり、他人にはわからない気持ちのリズムがあるのだから、返事の声色に一喜一憂しないで、あなたが楽しいときには、笑っていればいいのよ。」
よく考えると、彼は私に別れたいとか、好きじゃないとか言ったことはないのでした。でも、態度が冷たく感じたり、電話に出ない、メールがないことがあるたびに、「彼は今、私のことが好きじゃないんだ」と思ってしまっていました。
それからは、私が気になる冷たい言動も、直接言われたこと以外は私には関係のないことだ、と思うようにしました。
すると、本当に彼が優しくなりました。「最近君といると、とても落ち着くよ。仕事のトラブルを考えてしまうことが多いのだけど、君が楽しそうにしてると、それも忘れられる。」と言われてびっくり。本当に、彼が冷たいと思っていたのは、私のせいではなくて仕事のせいだったのです。そう考えると、なんでもない態度でも、私は一人で悲しんだり怒ったりしていたのだなあと思います。先生の言うように、同じ態度に対して、自分の受け取り方の違いですべてが変わってくるのだと、本当にわかりました。今まで、恋愛が長続きしなかった理由もわかる気がしました。
彼とは、その後も1年以上交際が続いています。結婚の話も出ています。今では何でも話し合える彼と、三浦先生のおかげだね、と話しています。
【頭痛】 30代女性:教師(函館市)
原因不明の頭痛に悩まされていました。いくつもの病院に通い、処方された薬も飲んでいましたが、原因がわからず、仕事中に意識を失って倒れることもあるほどで、真剣に休職を考えていました。
友人から三浦先生の話を聞き、カウンセリングを受けたら、不思議なことに、あれだけひどかった頭痛がすっかり治ってしまいました。今では、嘘のように健康に過ごしています。
それから、私の身近にいる悩みを抱えた人にも三浦先生を紹介させていただき、元気を取り戻した人を見て嬉しく思っています。
【転職】 30代女性:教師(札幌市)
職場の人間関係に悩んで退職したのですが、一年ぶりに転職先が決まって社会に出ることになり、不安が募っていたとき、友人から三浦先生を紹介してもらいました。
仕事復帰への心得やアドバイスをもらおうと思っていたのですが、話しているうちに、自分の人生としての設計がなかったことに気がつきました。仕事が好きで、真剣に考えて取り組んできましたが、いつも「いい人が現れたら結婚したい」と漠然と思いながらも、結婚や恋愛のことを、仕事のように真剣に考えたことがなかったのです。
先生には、「仕事は、あなたくらいの力があれば、がんばりすぎなければ大丈夫。でも、そのために、休日の充実を同じくらい重要に考えなさい。そうすれば、自然と仕事もうまくいく。プライベートの充実があれば、仕事の嫌なことも、必要以上に気にしないで前向きにいられるようになる。」とアドバイスをいただきました。
先生に会って、遅ればせながら、自分自信の将来を、きちんと考えることができました。今では、「いつかその機会があったら結婚したい」という曖昧な気持ちは持ったまま、具体的な行動は一つも取らずに仕事に明け暮れる人生(!)は自分から離れたものとして、冷静に見ることができます。自分では気がついていなかった問題に気がつかせてもらって、本当に良かったです。
【親子関係】 40代女性:主婦(岩見沢市)
夫の浮気、母の逝去など辛いことが続き、生きていく希望が一つも見あたらないと思っていた時、三浦先生のカウンセリングを受けました。先生は私の話をゆっくりと聞いてくださり、これまで人には一度も話したことのないことまで、不思議とわかってくださいました。現実のつらさ以上に、自分と亡くなった母親の間にある確執が問題だと教えてくださり、幼い頃に自分が母親から言われた言葉、忘れられない辛い思い出などが、どっと記憶に蘇りました。
「小さい頃のあなたにはどうすることもできないことだったかもしれないけれど、今、あなたは大人になっている。今のあなたは、お母さんの気持ちをくみ取ることができるし、子どものあなたの辛い気持ちを慰めることもできる。」とおっしゃったときには涙が止まりませんでした。
母子家庭で、当時の母親が人並み以上の苦労を背負いながら私に接していたこと、家の事情を察して、友達にも誰にも相談できないまま我慢をし続けた幼い自分自身のことを思い、やり場のない怒りや悲しみを全部涙に変えたかと思うほど泣きました。
亡くなった母にはもう直接ぶつけることもできず、行き場を失って心の奥に膨れあがっていたその怒りや悲しみに、初めて気がつくことができました。
話し下手で、説明が上手にできない私でしたが、三浦先生は言葉にできないことまで深く理解してくださいました。自分ではわからないほど奥にあった心の問題を解決してくださり、本当に感謝しております。
【人生の選択】 20代女性(札幌市)
小さい頃から料理が好きで、両親の飲食店の後を継ぎながら、改装して「自分の店を持つ」という夢を持ち続けていました。学生の時から、お金を貯めるという目的で、ホステスのアルバイトをしてきました。
ところが、専門学校を卒業する前に、両親の店がうまくいかずに廃業になり、しかも多額の借金を抱えているということがわかりました。返すのに精一杯の暮らしで、両親は私に迷惑はかけたくない、とは言いましたが、もちろん私は自分の夢は後まわしにして、とにかく夜の仕事で稼いだお金を両親に送る、という生活を卒業後も3年続けてきました。
借金の返済はなんとか済んだものの、そのときには、夜の仕事が軌道に乗っていて、「新しい店の経営にまわらないか」という話もくるくらいで、すっかり仕事がおもしろくなっていました。ただ、この道を極めていくには心配な気持ちもあって、三浦先生に相談にいきました。
「あなたは、自分のやりたいことを自分で決めて進む力があるから大丈夫。クラブの仕事がやりたいと思っているうちはやったらいい。何事もやり尽くすことが大事。」と言われて、「やり尽くすまでやる」ということにとても納得できたので、この道でがんばると宣言しました。絶対うまくいくという自信が持てました。
そして、その後しばらく忘れることになるのですが、帰り際、三浦先生はこう言ったのです。「でも、いつか昼の仕事がまぶしく感じるときが来るかもね。朝方、コンビニのバイト店員が輝いて見えるようなときが来たら、それがあなたの辞め時ね。」
すっかり忘れていたその瞬間が、2年後、本当に自分の前に現れた時には心臓が震えるほどびっくりしました。びっくりすると同時に涙が止まらず、夜の仕事は辞める、とその時にきめました。逃げるのではなく、やり尽くしたと思えました。
今は、小さなカフェで働いています。収入は比べられないほど減りましたが、充実している毎日です。人生の選択のときに、三浦先生に出会えて良かったです。
【長年のうつ病:薬をやめて子供がほしい】 30代女性(マレーシア在住)
マレーシアに移住して10年になりますが、うつ状態が続き、抗うつ剤を5年間飲み続けていました。ボーイフレンドが心配していろいろ手を尽くしてくれて、精神科への通院を続ける傍ら、占い、カウンセリングなど、良い噂を聞いたところには、どこにでも足を運びました。でも、良い手ごたえは得られず、出される薬が増えていくばかり。彼と結婚して子供がほしいと真剣に考え始めていたので、身体への影響もとても気になっていました。
そのころ、同じくオーストラリア在住で、札幌へ行って三浦先生のカウンセリングを受けた、という友人の話を聞きました。私もどうしてもよくなりたい、薬をやめたい―。その一心で私も思い切って日本へ帰り、4日間に集中してカウンセリングを受けることにしました。
三浦先生は、他のどんなカウンセラーの人とも違っていました。ずっと晴れなかった心が軽くなるのが最初からわかり、何年も思い出したことがなかったような明るい気持ちになりました。
最終日、迎えにきたボーイフレンドが私を見て驚いていました。私の笑う顔をみたのも、こんなに元気な姿を見るのもはじめてだと言うのです。元気だったころの眼の光がもどった、ととても喜んでくれました。
その夜、はじめて薬をのみませんでした。それまでは、薬がなかったら調子が悪いのと不安がつのって仕方がなかったのですが、その日は気がついたら薬をのむ時間が過ぎていて、「このままのまなくても大丈夫かもしれない」と、自分自身で思うことができたのです。
あれ以来、一度も抗うつ剤を飲んでいません。睡眠剤ものまないで眠れるようになりました。とても順調です!思い切って日本まで来て、本当によかったです。
追伸:彼がサプライズで結婚指輪を贈ってくれました。本当に嬉しくて、でも突然で…笑いながら泣いてしまいました。本当に三浦先生と巡り合えてよかったです。ありがとうございました。
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